「全ファミ。」ブログ編

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ボードゲームの遊びかたもひとつじゃない!

そういえば「ペンギンパーティ」も全ファミオリジナルルールでやったら面白かったなー。「次の人を置けなくしたらチップもらう」「1色をつぶしたらチップもらう」とか、邪魔した者が正義だ! ルール。てわけで、ちょっとルール改変について考えてみました。

「6ニムト」を27人対戦したり(1人3枚ずつ)とか、「シークレットガーデン」人間8人対戦のときにうそつき兵士を姫サイドにするとか、ルールを変えてよく遊んでます。「髑髏と薔薇」でめくり勝ちを一切狙わないのも、どちらかといえばルール改変に違いノリかな。いまだと「0(ゼロ」をコールするのも認めようか、みたいな話になってるくらいですし。

ファミコン時代からずっと実践してきてるんですけど、「ゲームの遊びかたはひとつじゃない」んですね。遊ぶ側が面白い、あるいは見ている側がこれは面白そう! と思った遊びかたなら、どういう遊びかたでもいいと思うんです(ゲームを痛めつけたりするのは論外ですが)。ボードゲーム研究家の草葉先生んとこで遊べる「8人麻雀」とか最高じゃないですか。

たとえばこれ。『スーパーマリオ』で対戦動画。


「6ニムト」で牛をたくさん集めた人が優勝でもいいですし、「パンデミック」でどれだけ早い時間で感染を限界まで広げられるかでもいい。二人用ゲームを四人用に拡張するのもいいし、「ノイ」で100までルールとか熱いですよ。大量にある切り札の”101”カードがすべて死に札になりますからね。

かつて、中を一切見せないパッケージになっていて、買って中身をみてみたら100円トランプだったという、ある意味で熱い同人ボードゲームがありました。要するにトランプのルールを売ってるわけじゃないですか。逆に堂々と「ルールを売ります」という売り方にすれば面白かったと思うんですね。

ただ、トランプの遊びかたやそれらの本はたくさんあるので、新ルール+トランプで500円は高いと思いましたが! でもま、変形ルール集ならいかにも同人らしくていいじゃないですか。そのルールが公式に採用されて、続編や拡張や再販で採用されるとか、夢があっていいと思います。ゲームの新しい遊びかた本、どなたか書いてくださいまし!

ボードゲーム制作は、テーマが先かルールが先か

自分のツイッターの中で「閉じ込めゲーム」なんてのを考えてました。もともとは、脱出ゲームとかリアル脱出ゲームとかが流行っている今なら、逆の閉じ込めゲームもいけるんじゃないか。これで俺もモテゲーが作れるぞヤッタね! 今に見ていろSCRAPみたいな。
で、いろいろと考えていく中で、やはり閉じ込めの最たるものは刑務所だろう。よって、前科100犯くらいの終身刑を受けた凶悪犯罪者ばっかりが入ってる刑務所の看守になって、彼らの暴動および脱走をおさえるゲームならいけるんじゃないか、みたいになったとするじゃないですか。じゃあ、これをゲーム化しようと思ったら、まずシステムを考えてみようかと。部分的なアイデアがひらめいて、それを組み込んでいくということもあるかもしれない。パロディキャラは「ショーシャンク」かはたまた「グリーン・マイル」か、「コン・エアー」もええな、拡張で使えるなぁ……なんてニヤニヤしたりとか。

ところが、ゲームを作っていくうちに、だんだん刑務所の看守なり囚人へのメシなりなんなり、現実に即した設定が邪魔になってきたとするじゃないですか。でも、囚人を閉じ込めてるのは看守だしなぁ……とか、それをゲームにすりあわせて落とし込んでみる。そして、一応はゲームが完成する。
そういうのを遊んでみると、おそらく、テーマにそっているのに、なんとなくぼんやりしているゲームになっているように思うんですね。そして、そういうぼんやりしたゲームが、最近、とみに多いんです。

多くのかたは、おそらく、私と同じように、まずテーマがあって、それをゲーム化していると思うんですね。それが悪いとかではまったくありません。ただ、自分がひらめいたアイデアはけっこう面白く感じてしまうので、最後まで残してしまいがちだと思うんですよ。それをスパッと切り捨てるのはやっぱり難しいし、切り捨てたらテーマがどっかに行ってしまったりする。
だったら、私はテーマからつくらなければいいんじゃないか、と思った次第。なんか面白そうなルールなり仕組みを考えて、最後にテーマを乗っければいいんじゃないかな、と。その乗っけたテーマがぜんぜん魅力的でない可能性もあるので、問屋は簡単に卸してくれないと思いますけど。

思うに、テーマから作るのであれば、同時に100個くらいのテーマを考えておいて、その中からベスト1! というものを作るのがいいんでしょうねぇ。

関連エントリ:
もやもやするボードゲームに思うこと
いまいちな同人ボードゲームの「自手番のアクションの手ごたえがない3つの理由」


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新大塚駅そばで「全ファミ協会」というよろずゲーム会をやってます。次回は5月19日で、テーマは「ブラフ系ゲームメインの日」です。日程や場所の詳細はこちら

いまいちな同人ボードゲームの「自手番のアクションに手ごたえがない」3つの理由。

いまいちピンとこない同人ボードゲームの「自手番でのアクションに手ごたえがない」件について、思いのほか反応がありました。手ごたえのなさを感じるパターンはいくつかあるので、もう少しツッコんでみることにします。自分の発言にも手ごたえなかったなぁ、などとセルフツッコミしつつ。

ひとつめ。「自手番でのアクションに悩みどころがない」。あちらを立てればこちらが立たず。ここで勝負すれば勝てるけれども、あとあとの反撃が怖い。一歩行けば脱落するかもしれないが、一攫千金が待っているかもしれない。ああ、かくもボードゲームは悩ましい! ……てな具合。

若きウェルテルばりに悩ませてほしいわけですよ。つまりはジレンマですね。手番でのアクションひとつひとつに対して、もっと後悔したいんです。悩んで出した答えが間違いで、悔しいからもう一丁! と再戦を申し込みたいんです。後悔ばかりの人生だけど、後悔は先にできないんだから仕方ないんです!

ネタはともかく、手番でのアクションに相反する要素があって、どっちにするかシンプルかつストレートに悩めたら、ものすごく興奮するはず。個人的な感覚ですが、ジレンマのないアクションが全手番中の3割を超えていたら、ゲームとしてはうーん……という感じになってしまいますね。

ふたつめ。「自手番で行ったアクションが、他プレイヤーや勝利条件に影響を与えない」。たとえば、他人からもらったカードがうれしくない。奪われて悔しくない。他人から何かされて痛くもかゆくもない。これは多分、「制作者が、勝利や敗北の定義づけをちゃんとできていない」からだと思うんです。

「この手番で勝つことにはこのような意味があります。相手を邪魔するのはこれこれこのような理由と楽しさがあり、だからこのような戦略が必要で、それを構築していくのがゲームのポイントです」。そういう楽しみかたや勝ちかたが制作者はわかっていて、その上で、それをプレイヤーに明示できているか。

少しテーマからずれますね。プレイマニュアルには、カードの意味とゲームの流れが書いてあります。でも、じゃあ実際なにをしたらいいの? と戸惑うゲームがあるわけです。それを解決するのは、現状は「すでにプレイ済みの人の、ゲームの考えかたを含めたインスト」になりがちだと思うんですね。

でも、勝利条件やルールが複雑で、結果的に楽しさが伝わりにくいゲームというものもありますよね。だとしたら、ゲームマニュアルに、「カードの使い道」「アクションの意味」「ゲームのコツ」を明確に書いてみてもいいんじゃないかなーと思ったりもします。

勝利や敗北の定義づけの話に戻すと、そういう明確な定義なり戦略なり笑いどころがあるからこそ、自分のアクションに手ごたえを感じるわけです。それがないと、頭の中に「?」マークを浮かべたまま遊び続けたり、多人数プレイなのに置き去り感を覚えちゃったりすることになりがちですよね。

みっつめ。「ゲームルールに対して、用意されているアクションやカードなどの定義づけが弱い」。前にも少しふれましたが、取捨選択されていないカードやルールを用意していませんか、と。戦略的なパスはできますか。カードに要素をつけるあまり、勝利条件がぼやけていませんか。

本来であれば一手番ごとに有利不利が入れ替わる楽しいゲームなのに、有効なアクションなりカードなりが用意されていないがために、入れ替わりが発生せず、結果的にぼやけてしまう。そんなもったいないゲームがあるんじゃないかなぁと思うのです。

ルール、カード、勝利条件。それらを生かす最高の答えがあるはずなんです。制作者のみなさん、アイデア出しやテストプレイでかっちり手ごたえを感じてください。それは絶対に、プレイヤーの手ごたえにもなるはずですよ!

もやもやするボードゲームに思うこと

同人のボードゲームをやっていると、ファミコンの無色無臭なアクションゲームをやっているような気分になることがあります。練りこみが足りないなぁとか、余計なものが駆け引きの邪魔をしているなー、とか。この気分がどこからくるのか考えてみました。

まず考えたのは、「基にしているゲームがある場合、それとの差別化をするためのデコレーションが多すぎなのではないか?」ということ。元の形そのまんまで出すのはNGだから、装飾はもちろん必須。なんだけれども、装飾が多すぎて元のゲーム性がなくなったり、ぼやけちゃったりしていないか、と。
元のゲームはだいたいがプロが作ったものだったり、ズバ抜けて面白かったりしたものだと思うんですね。それらがつくられる過程で削られたり不採用になったものを、再び装飾という形で足しこんでしまったんじゃないかなぁ……なんて風に思うのですね。
シンプルなゲームに装飾をつけるのはものすごく困難だと思うんです。もしつけるにしても、100個くらい装飾のネタを考えて、つけては削りつけては削り、最終的に1個か2個くらいの装飾だけが残るくらいでいいんじゃないでしょうか。それくらいの厳選素材なら、絶対に面白いと思うんですよね。

一方、練りこみ不足と感じるのはどういう時かといえば、ゲームのシステムやルールやカード内容よりも、自分の手番で何かをしたとき(何もしないパスでさえも)、それが自分にとってどのような意味を持つのか、よくわからないときなんです。
自分がなにかしたとき、成功であれ失敗であれ、何かの手ごたえがほしいじゃないですか。手ごたえってのは、これで勝つる! とか、これで次のプレイヤーは昇天だぜ! みたいな感覚ですね。これなら次の手番までに復活できる! とかでもいいんですけど、それがあんまり感じられないものがあるんです。
ただ、漫然と、流れるままに、自分の手番を過ごして次の人どうぞ、みたいな。自分の手番が少ないゲームであっても、手ごたえを覚えないゲームがあったりもします。だから、手ごたえは手番の多寡ではなくて、プレイヤーがやる行動一つ一つに、重みづけができていないかと考えたんです。
前に書いた装飾の話にも少し関連しています。たとえばカードやルールの装飾は盛りだくさん。そこの取捨選択をプレイヤーに投げてしまったために、投げられたプレイヤーはクリティカルな一撃を放てた気分にならない、みたいな。

よくできたゲームをやると、自分の手番で「これだ!」という手ごたえを感じるじゃないですか。そういう手ごたえをメモったり記憶したりしておいて、自分の作っているゲームの手番で、そういう手ごたえが感じられてるかな? なんて客観的に見たりしたら、重みが増してくるかもしれないですね。

※上記は私のツイートを再構成したものです。上記を踏まえて、以下のエントリを書いています。

いまいちな同人ボードゲームの「自手番のアクションに手ごたえがない」3つの理由。
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