「全ファミ。」ブログ編

いつから「やりこみ」という言葉が売り文句になったのだろう。

「やりこみ」という言葉は、元々プレイヤーの使うものでした。

「あのゲーム、散々やりこんだよ」
「何周もしたよな~」
「面白かったよ、うん」

面白いから、好きだから、何回も何周も繰り返してゲームを遊ぶ。それをやりこむと呼んでいたはずです。

しかし、いつ頃からか、「すごいプレイ」「無駄を省いたプレイ」のことが「やりこみ」と呼ばれはじめました。
低レベルクリア。短時間クリア。全○○制覇。
これはゲーム雑誌をはじめとするゲームメディアの影響が大きいのでしょう。
確かに、よほどの天才プレイヤーでない限り、やりこまなければ「すごいプレイ」はできません。
けれども、それはゲームをやりこんだ結果の1つなのであって、やりこみとすごいプレイは同義でないはずです。
雑誌で「やりこみ特集」という言葉を見るたび、私の違和感は大きくなっていきました。
既存のゲーム雑誌に対する興味が薄れてきたのはこの頃です。

時代が進むと、ゲームの紹介に「やりこみ要素が~」「やりこみプレイ可能」という文言が使われるようになります。
さらに、「やりこみ度」「やりこみ要素」を、ゲームのセールスポイントにするメーカーも出てきました。
実はこの頃から、私は新しいゲームに興味を持てなくなっていました。

「やりこむかどうかはプレイヤーである自分が決める。それを強制されるいわれはない」
ってなわけです。
まあ、雑誌での言葉遣いを含め、人に合わせられないひねくれモノって話でもあるんですけれどね。

かくして、「やりこみ」という言葉が本来の意味から外れてから、私は「やりこみ」という言葉を使わなくなりました。何度でも何回でも楽しめるならそう書きますし、色々な遊びかたができるのなら、一言でまとめずに全部紹介したほうがいいじゃないですか。

共通の認識がある言葉は便利です。だからこそ、「便利な言葉」で逃げたくないな、と、切にそう思うのです。

コメント

わたしも
避けられないor避けるのが難しい「やりこみ要素」が
用意されているゲームって、敷居が高く感じられて
「ちょっとやってみようかな」って思えなくて苦手です。
やりこみ要素を用意しても、プレイヤーが
少し気付き難いくらい控えめにしといた方が
裏技風味で良いと思うんですが…

  • 2008/12/27(土) 20:40:18 |
  • URL |
  • せんじゅ #TiimW1cM
  • [ 編集]

そうですね。
そのあたりはすごくバランスが難しいと思うんですけれど、しかしゲームが売れなくなってきている今、「売り文句」というのは大事ですからね。
「やりこみ要素」というのは、一定の層に対する訴求力はあるのかもしれません。

ちなみに、繰り返し遊んでも楽しいゲームであれば、私は何の要素がなくてもやりこみますよ。

  • 2008/12/27(土) 20:45:35 |
  • URL |
  • 支部長 #-
  • [ 編集]

やりこみ

言われて納得しました。
中学時代の自分は確かにゲームをやりこんでいた!
自分だからこんな風にやりこんだぜ、という満足感があった。

今では「やりこみ要素満点」なんていう売り文句を読んでも、「あー、そこまでゲームに時間をさけないよ」と腰が引けてしまいます。

でも人間いくつになったって、大好きなものを結果的に「やりこんでしまった」ということはあるはず。

支部長も言うように強制されてる感じに問題があるのでしょうね。

ちなみに、中学時代の時間がありあまってた当時の自分なら「やりこみ要素満点」の売り文句に立ち向かっていたとは思います。
でもきっと、用意された枠が広大なだけに、枠をはみでて自分流に遊べるまでの道のりは長いのでしょう。当時感じていた満足感を味わえるかどうかは大いに疑問です。

  • 2012/03/30(金) 02:12:32 |
  • URL |
  • ウシ太郎 #-
  • [ 編集]

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