このレトリックを考えた西村京太郎はすごい。……のだが、どのようにアイデアを思いついたのか、想像がついてしまうような気がする。犯罪関連の言葉を辞書で調べているうち、そこからアイデアを膨らませたのではないか、と。
話は変わって掲題の色眼鏡である。これを広辞苑で調べると、以下の説明がなされている。
【いろ・めがね】
1 色つきガラスを用いた眼鏡。
2 転じて、先入見や感情に支配された観察。「人を──で見る」
先入見という言葉が聞きなれないのでさらに調べると、先入観と同じとある。
【せんにゅう・かん】
初めに知ったことによって作り上げられた固定的な観念や見解。それが自由な思考を妨げる場合に言う。先入見。先入主。「──にとらわれない」
たとえば、パッケージの絵を見た時に「このゲームはつまらなそう」と思うこと。これはまだ先入観ではない。実際に遊んでみた時、キャラクターに感情移入ができなかったり、どうにも乗り気にならなかった時、広辞苑が説明している通りの先入観となる。
では、先入観を持つことが悪いかといえば、実はそんなことはない。たとえば『タクティクスオウガ』。ゲームスタート直後、ドットのキャラクターたちに従来ではありえなかった細かい動作をさせた。そして、プレイヤーに「このゲームは凄い!」と思わせることで、プレイヤーをゲームへ引きずり込んでいる。この時、プレイヤーはゲームに夢中になり、なおかつゲームへのめりこんでいるから、「自由な思考を妨げられている」と言えないこともない。が、それがゲームの目的であり、プレイヤー自身は楽しんでいるのだから、「いい意味で」先入観を利用していると言えるだろう。
かように、ゲームの制作者は先入観を巧みに使いこなしている。では、プレイヤー自身は先入観を使いこなしているだろうか。残念ながら、そういう話はほとんど聞いたことがない。「面白そうと思って買ったのに、ハズレをつかまされた」とか、「キャラクターデザインが苦手で、ゲーム本編にもハマれなかった」とか、先入観が本来の意味で使用されているのが圧倒的だ。例外は、「つまらなそうだったけど、やってみたら面白かった」ということくらいだろう。だから、プレイヤー側から先入観をいい意味で使いこなすのは難しい。「このゲームは面白いのだ!」と思って遊んだとしても、つらくなったり、むなしさを覚えてしまうこともありうる。
そこで、こういう先入観はどうだろうか。
「このゲームが楽しめないのは、自分の力が足りないのだ」。
どのように考えようが先入観は先入観なのだから、自由な思考は妨げられてしまう。けれども、こういう先入観を持ってしまえば、「ゲームを面白く遊ぶ」という方向しか見えなくなるのだ。しかも、先入観がうまく働けば、「先入観って大事だよな」などと言えてしまう。これはなかなか言えるセリフではなく、それだけでも十分に価値があると思う。
競馬ファンにはおなじみの、シャドーロールというマスク上の馬具がある。サラブレッドの視野を狭め、集中力を高める効果があるという。

これは、いい意味での「色眼鏡」そのものである。我々ゲーマーもゲームにかぶりつくための様々な色眼鏡を用意し、ゲームを面白くするための先入観に磨きをかけていきたいものだ。
ちなみに、冒頭の一千万人を人質にした犯人は、十津川警部補の作戦にはめられて自滅する。先入観に縛られ、自滅してゲームが嫌いになっては元も子もない。まずは、青赤メガネこと「とびだせメガネ」をかけるあたりから始めるのがよさそうだ。